プエルトリコへの恋心
我が失望した己の無力さに
私の海外滞在履歴を思い返してみる。
知り合いの中では海外歴は浅いが、一般的には少し多いくらいと思っている。
21か22歳:LAにダンスの勉強に2か月、DCに20日ちょっと、NYに3日
24歳:LAに婚前旅行2週間
25歳:LAで行われたBBOYの大会に1週間ちょい(帰りの便に乗り遅れ、1日放浪)
27歳:オーストラリアにワーホリ
1年目 ケアンズに2か月、クックタウンとレークランドに半年、東海岸1800kmを中古車で移動後シドニーの橋でガス欠が始まり、シドニー市内で違法駐車後、シドニーに半年(セカンドビザ更新)後、永住を決めたと親に報告後、間接的な帰国命令
28歳:オーストラリアが恋しくて、またもワーホリ
2年目 レークランドに半年、2週間ワニと蛇の生息地に住んでいたパプアニューギニア人のパパの家に居候後、ビザの残りが終わりに近づき帰国
29歳:台湾に観光ビザで3か月滞在時に出家、帰国後仏師の弟子入りをするも音楽性の違いにより1週間で夜逃げ
30歳:オーストラリアが恋しくなり10日間ほどパパの家に遊びに行く
32歳:LAに2週間の旅行
34歳:タイに10日間ほど一人旅
36歳:LAとサンフランシスコに2週間ほど旅行(後にGoogle本社いっとけばよかたと後悔)
こう見ると、中東と中華圏、ヨーロッパにロシア、アフリカ大陸にいっていない。
写真は32歳の頃にいったサンタバーバラのビーチ沿いで撮った写真。
ダンスの練習もろくにしていなかったが、ハーリーがLAに来ていたこともあって、ノリでアメリカでも一番有名なダンスバトルにFBIの人とチームを組んで参加。いつものようにサークルで遊びすぎて体力がつきボロボロのソロをかまし、予選敗退…(なにもいえない)
個人的に28から29歳あたりで完全燃焼し、燃え尽き症候群に10年弱悩まされたわけだが、今でも後悔の念があるとすればこれだ。
なぜ、私は、この時パーマをかけてくれたプエルトリコ出身の女性にアプローチして、受け入れてもらえなかったのか。
理由はいくつかあろう、おっさん、背が小さい。
うっせぇ、うっせぇ、うっせぇーわ
…
みなさん、人生にモテ期は三度だけあります。
その期を絶対見逃さないでね…
というわけでそれとも全く関係はないのだけれど、外国の方とお付き合いできたら面白いだろうなって後悔の念は今でも少しばかり持ち合わせています。
では、この辺で
また、気分が乗り始めたらブログします。
P.S: 第2のパパに、俺パプアニューギニアに行ってみたいというと、こう返事が返ってきた。
パプアニューギニアには行くな、彼らは人を殺すことを何とも思っていない。と
現地出生の方が言った言葉だから、まじなのだろうけど、30代後半を迎える私には、もうそのような国に行く勇気はない。まだ早いか、どうかわからないが